八幡宮・国分寺・国分尼寺・三河総社

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 八幡宮(豊川市八幡町本郷、国分寺の隣にあります。)
 奈良時代より国分寺の鎮護の神として人々の尊崇を受けていた。
 鎌倉幕府開府の源頼朝に崇敬され、1193年(建久4年)には神領地1000町歩を寄進されました。 
 江戸時代以前には社領も1500石を有していたと言われている。江戸時代からは社領の再配分で150石と激減された。
 明治時代には神仏判然令を受け、八幡宮内に祀られていた神宮寺本尊の薬師如来は国分寺に移された。
 (八幡宮でいただいた八幡宮の概要 平成19年発刊より)

 国分寺のすぐ西側にあります。姫街道からが表門というか、入り口側となります。


 八幡宮本殿(重文)

 本殿の説明(とっても貴重)

 大分の宇佐八幡宮から七世紀半ばに勧請されとある。

 八幡神は弓矢八幡とも称され、古来より武人の崇敬を集めた。
 往時は東海一の射弓舎といわれた。
 現在も威容を誇っています。立派です。


 射弓舎から矢場を見る。
 

 この射弓舎は天保5年に立て替えられた。
 江戸時代のものもある金的中の献額。 


国分寺跡(現在も国分寺という寺があるが、奈良時代の国分寺はその地下に埋もれている。)

 
 現在の国分寺入り口

 将来発掘するために
 遺跡範囲の買取が
 進んでいる。


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 史蹟の石柱はあるが、国分寺の遺跡は全て
 
 この地下だ。

 平安時代作の梵鐘
 弁慶が引きずったという傷も残っている。
 (重要文化財) 

国分尼寺

 
 国分尼寺(復元)

 最近復元された国分尼
 寺中門。
 お金があればもっと復
 元したかったが、資金
 不足で両横少しだけと
 なったそうです。
 

 
 国分尼寺史跡公園前にある
  「三河天平の里資料館」

 中に国分寺と尼寺の資料が
 展示されている。ボランティアに
 よる説明もあります。

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 小学生の通学路。この子供達
 はこの建物をどう見ているだ
 ろうか?


 国分尼寺の礎石(本物はこの下にある)

 伽藍配置図(奈良時代はすごい立派だったらしい)

三河総社(三河国の神様を集めたお宮)

 
 三河国(現在の西三河
 と東三河全域)の神社
 を回るのは大変なので
 ここへ集めた、歴史あ
 る神社。58の神社が
 祀られている。
 

 この神社の横から、国司が政治
 を行った場所が近年発掘された。




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