西島稲荷(神社)

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西島稲荷(西島稲荷は豊川稲荷の先輩稲荷と古老は語ってます。)

 ※ 
 三明寺の三徳稲荷は西島稲荷から分祀のお稲荷さま。

 
 江戸中期には繁盛していたが、宝暦年間に
 豊川稲荷へ平八狐が婿入りしてから西島稲
 荷が衰えたという。この稲荷社本堂には豊
 川で一番多くの絵馬が残っていたが、放火
 により本堂が全焼し、絵馬もほとんど残っ
 ていない。

 
  西島稲荷

   現在の西島稲荷
  常夜灯にも江戸中期のものがある。

  焼失前の西島稲荷。裏には林が残っ
 ている。

  色が良く残っている絵馬

 江戸時代の奉納絵馬が沢山ありました。
 補修後に本殿に整理した後の写真です。
 整理前は雑然としていました。

 恵比寿さんが鯛とお米を馬に積んでる、
 本当にメデタイ絵馬です。

 豊川の歴史散歩(豊川の歴史散歩編集委員会発行 平成5年)によると
     当社の創建ははっきりしない。昔は大そう繁盛したお宮であったが、宝暦の頃(1751〜1764)当社の平八狐が
   豊川狐へ婿入りしてから衰えたという。ここに奉納された絵馬には、東は東京・遠州、西は伊勢・尾張等遠隔地の
   ものがあり西島稲荷の当時の繁盛がうかがえる。豊川市内で、もっとも数多くの絵馬が奉納されているのは、西島
   神社である。 

 昭和48年の調査(姫街道の自然と史跡を守る会)時の絵馬の一部 

 ・ 「奉懸御寶前」 花車 宝暦(1763年) 三州吉田船町浅井氏 縦46p 横60p
       
 
 ・ 「奉懸御寶前」 薙刀を持った法師二人 明和(1766年) 松野氏   縦40p 横55p
        
 
    この調査では137点の絵馬、奉納物を確認している(内年代不明の物82枚)。
    奉納年のわかる絵馬のほとんどが江戸期のもので、明治・大正は5点となっている。
    多数の刀奉納額が残っていたが、刀は太平洋戦争中に全て供出されていた。   


 京の五条の大橋での弁慶と牛若丸
 天明2年(1782)奉納

 公家の夢に弁天様
 明和6年(1769)奉納)

 年代不明

 牛若丸と天狗
 明和5年(1768)奉納

 文字が剥落していて年代は不明
 奉納者は江戸と読める。
                  

  喜ぶ眷族神(白狐)
 明和4年(1767)奉納


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