長谷寺(チョウコクジ)境内にあり(牛久保城跡北500m程のところ)
山本勘助は1500年に賀茂村に生まれ、15歳で牧野家家臣大林家の養子となり、26歳で武者修行に出る。
諸国を遍歴し35歳で帰還したところ、養子先に実子が生まれていたため、養子縁組を解き山本姓に戻った。
その後、関東を遍歴し45歳で甲斐の武田信玄に仕え、幾多の戦いで名軍師と謳われた。1561年川中島の
戦いで討ち死にしました。(山本勘助と長谷寺パンフを参考にしました )
山本勘助の墓 この墓は長谷寺の 念宗和尚と特に親 しく、遺髪を和尚に 託してあり、戦死を 知った和尚がこれ を悼み、遺髪を収 めた五輪塔を建立 したものです。 |
![]() |
![]() ![]() |
山本勘助が戦死の際 他人の手に渡るのを 恐れ、1560年に長 谷寺へ送ったという。 摩利支天の像(4cm の小さな像、市指定)。 |
![]() |
長谷寺案内 板より |