船山古墳(三河最大の前方後円墳)

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全長94mあり、三河最大の前方後円墳で五世紀後半に作られたと考えられている。この地を治めた豪族の墓と言われている。
名鉄国府駅北100mにあります。
大江定基が国司時代に力寿姫とこの古墳の小山で遊行したと言い伝えられています。


 国府駅北信号より見た古墳です。
 

 残っているのはこの絵の部分だけとなっ
 ている。かわ信パーキング横にあり。

  案内板が近くの豊川信用金庫の駐車場
 の横にあります。

 大化の改新(645年)以後、地方豪族を中心とした政治から中央集権の政治となり、地方に国司を派遣して地方の政治を行わせた。
 地方政治の中心が国府となり、名鉄国府(こう)駅北一帯が三河国の国府があった場所。そのすぐ隣に船山古墳がある。

 
 後方部上にある祠

  前方部上にある祠
 
 かわ信Pに埴輪棺が
 がガラスケースに展
 示してあります。

 かわ信側よりの古墳
 道路により削られてい
 る。
 
 北側のPよりの古墳
 小高い山となっている。
 

 船山古墳位置(現在地とあるのは西明寺入り口の芭蕉句碑です。西明寺の頁と同じ略図です。)

 
 案内板で、現在地となっている前の坂を「鷺坂」といい、

 南北朝時代に足利尊氏と新田義貞が戦い、尊氏が敗れ

 遠江へ敗走した地です(1335年)。
 
 太平記巻14(鈴木源一郎著郷土散策より)